[みどころ | 交通 | 関連情報 | 指定 | 地質学的な意義] みどころ銅ヶ丸鉱山は、石見銀山より3年早い永享3年(1431年)に切りあけられ、江戸時代には石見銀山領に加えられて天領直轄とされ、明治時代に西の足尾(あしお)銅山といわれるほど繁栄し、明治29年にはここに発電所が設置されて電灯がともされるほど隆盛を極めました(島根県地質図説明書編集委員会、1985)。銅を主体とする鉱石を産出しましたが、明治40年に銅価格が暴落して休山し、明治42年に失火により鉱山施設を全焼し、閉山となりました。銅ヶ丸鉱山は、スカルン鉱床と鉱脈鉱床の両方のタイプからなる鉱床であるため、色々な鉱物から形成されています。鉱石鉱物としては、黄銅鉱、閃(せん)亜鉛鉱(あえんこう)、黄鉄鉱を主とし、微細な銀鉱物や金を含みます。スカルン鉱物としては、輝石、緑れん石、ざくろ石が産出します。鉱山では、今津川(いまづがわ)にそって坑口が多数見られ(写真1)、ズリもたくさん残っています(写真2)。今津川河口の川岸にスカルン鉱物を含むズリが見られ、上流に向かうと黄鉄鉱、黄銅鉱を含む鉱脈鉱床タイプの鉱石のズリが多くなります。 写真1: 明青(めいせい)坑露頭。坑口とズリが見られる。 写真2: 明青坑ズリ場。 アクセス江津市の中心部東方約35km、JR三江線「竹(たけ)駅」の近くで江(ごう)の川(かわ)に入る支流田水川の合流点付近に製錬所跡があり、田水川の支流である今津川の谷沿いに採掘跡、坑口等が存在します。 関連する情報参考文献: 天然記念物などの指定情報なし 地質学的な意義銅ヶ丸鉱山の周辺には、中生界白亜系邑智層群の流紋岩〜デイサイト質溶岩または火砕岩が分布し、新生代古第三紀に貫入した乙原花崗岩(おんばらかこうがん)によって流紋岩中に生成した鉱脈鉱床とされています(島根県の地質、1985)。近世以前の記録がほとんどなく、また、閉山以降も科学的研究はあまり行われせんでした。 |