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石見鉱山

島根県大田市五十猛町

有名な「石見銀山」とは別の鉱山です。


キーワード:黒鉱 ゼオライト 噴火口角礫帯 コールドロン 中新世

(執筆:赤坂正秀)

地図
国土地理院発行1:25000地形図「大浦」より

[みどころ | 交通 | 関連情報 | 指定 | 地質学的な意義]


みどころ

写真1

石見鉱山の鉱床は以下に述べるように黒鉱鉱床であり、石見銀山とは異なる鉱床です。日本列島には、新第三紀初期から中期の海底火山活動によって生成したグリーン・タフ地域が北海道、東北地方日本海側、北陸、山陰にかけて分布しますが、この地域に金、銀、銅、鉛、亜鉛を含む黒鉱鉱床が分布しました。「黒鉱」とは、鉛、亜鉛、銅などの金属元素に富む鉱物からなる黒い鉱石(写真1)のことです。石見鉱山は、現在はゼオライトの採掘がおこなわれていますが、かつては山陰地域の代表的な黒鉱鉱床のひとつでした。

大田市五十猛(いそたけ)の石見鉱山は、大田湾の陥没構造(コールドロン)内側縁部に形成した黒鉱鉱床で、デイサイト・流紋岩・黒色頁岩(日本の鉱床総覧(上巻),日本の地質7 中国地方)からなる久利(くり)層(約1500万年前)に胚胎します。石見鉱山黒鉱鉱床は、網状鉱脈を伴う鉱染鉱床部、層状黒鉱鉱床部、石膏鉱床部からなります。直径約400mの筒状噴火口角礫帯に生成しており、黒色頁岩の下位に層状黒鉱鉱体、その下位に石膏鉱体、さらにその下位に網状鉱染鉱体が存在します。また、網状鉱染鉱体は層状黒鉱鉱体のすぐ下に石膏鉱体をとりまいて存在することもあります(日本の鉱床総覧(上巻),日本の地質7 中国地方)。

昭和59年2月に黒鉱鉱量枯渇により操業停止、現在は黒鉱鉱床としては閉山されている(写真2)ため、坑内を見ることはできませんが、坑口(閉じられています:写真3)、鉱石を運搬したトロッコ、選鉱した施設があり、かつて山陰を代表する黒鉱鉱床として資源金属に富む鉱石を活発に産出していたころをしのぶことが出来ます。鉱石のズリ置き場は、ゼオライトなどのズリに覆われており、なかなか鉱石を見つけることはできません。

写真2,3


アクセス

JR山陰本線大田市駅から五十猛に向かって車で約15分、また、同線五十猛駅より徒歩約10分で黒鉱鉱床跡に着きます。本鉱山の所有者である三井金属資源開発株式会社の石見鉱業所事務所は黒鉱鉱床跡と異なる場所にありますが、所要時間は同じくらいです。


関連する情報

  • 石見鉱山は1955年に三井金属鉱業株式会社が全鉱区を買収。1962年に三井金属が石見鉱山株式会社を設立。2001年に三井金属資源開発が石見鉱山株式会社を吸収合併し、2011年現在、三井金属資源開発株式会社石見鉱業所が保管・管理しており、現在はゼオライトの採掘をしています。黒鉱鉱床跡の見学には許可を得る必要があります。
  • 島根県地質図説明書編集委員会(1985),「島根県の地質」,島根県。
  • 「島根の自然」編集委員会(1998),「島根の自然をたずねて」,築地書館
  • 日本鉱業協会探査部会 編集(1965),「日本の鉱床総覧」上巻,日本鉱業協会
  • 日本の地質「中国地方」編集委員会(1987),「日本の地質7 中国地方」,共立出版

天然記念物などの指定情報

なし


地質学的な意義

黒鉱鉱床は日本を代表する鉱床で、“KUROKO”は世界の共通語になっています.この鉱床は、グリーン・タフ地域という日本でも限られた地域にしか存在せず、また、新第三紀中新世にのみ生成されたという点で非常に特徴的な鉱床であり、日本列島の形成史の中でも特異なものです。閃亜鉛鉱、方鉛鉱、黄鉄鉱が主な鉱石鉱物ですが、含銀四面銅鉱、エレクトラム(金と銀の合金)、金・銀・テルル鉱物が少量ないし微量含まれることが島根大学の研究で明らかにされています。

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