[みどころ | 交通 | 関連情報 | 指定 | 地質学的な意義] みどころ鉄製品を作る原料は鉄鉱石と砂鉄がありますが、日本では中世以降砂鉄原料が主体となったようです。砂鉄はマグマが冷却固化した火成岩に含まれるチタン磁鉄鉱やフェロチタン鉄鉱が岩石の風化に伴って分離したものです。分離した砂鉄は、水流に流され比重差により河床に集積した川砂鉄、海岸まで流され波により分級した浜砂鉄があり、それぞれ集積個所で採取され製鉄原料となりました。この水による分級選別を原岩の分布地で人工的に行ったのがカンナ流しです。カンナ流しの始まりは戦国時代頃と考えられており大正頃まで行われていたようです。
中国山地には地下深くまで砂状に風化した花崗岩などが広く分布しますので、古くからカンナ流しが盛んに行われたところです。カンナ流しの跡地には独特の特異な地形が残されています。とくに、斐伊川、飯梨川上流部の雲南市吉田、奥出雲町横田、安来市比田などでは、注意して見ると、山すそに比高10m前後の丘が周囲の地形と不調和な残丘としてあちらこちらに見られます。これは、水路で上流から水を流し、周辺の風化した火成岩を切り崩し(写真-1)、この水路に落としこんで下流へ流した跡です。丘の頂部がそれ以前の平坦面の高さです(写真-2)。 流された土砂は、下流に造られた比重選鉱施設で選別され最終的に80%程度の歩留まりで砂鉄が採取されました。砂鉄以外の多量の土砂はさらに下流に流され田畑へ流入したり、河床を上げ洪水を誘発するなど公害を引き起こしましたが、一方、山間地を埋めた土砂により新しい耕地ができる利点もありました。広大な出雲平野の形成もカンナ流しが大きく関係しています。 たたら製鉄とは日本古来の製鉄技術のことを言い、千年以上の歴史がありますが、カンナ流しにより砂鉄原料が多量に得られるようになった江戸時代中期に近代たたら技術が完成し、幕末から明治時代初期に最盛期を迎え、大正時代末に消滅しました。しかし日本刀原料の玉はがねを得る唯一の手段としての必要性から、昭和52年に奥出雲町横田に復活したのが日刀保たたらです。ここでは、1年に3回だけ伝承技術に基づいたたたら製鉄が行われています。また雲南市吉田村には以前たたら製鉄が行われていた高殿と呼ばれる施設が保存されており、自由に見学できるようになっています(写真-3)。 アクセス
関連する見学場所と情報鉄の歴史博物館(雲南市吉田町):http://www.piconet.co.jp/nippon-net/nippon.cgi/see/12500 和鋼博物館(安来市安来町):http://www.wakou-museum.gr.jp 天然記念物などの指定情報日刀保たたら:(国)選定保存技術、菅谷たたら:(国)有形民族資料 地質学的な意義砂鉄には黒雲母花崗岩から取れる真砂砂鉄(チタン磁鉄鉱主体)と、閃緑岩などから取れる赤目砂鉄(不純物多い)があり、山陰地方に広く分布する黒雲母花崗岩から良質の真砂砂鉄が取れることから、日本刀の原料となる玉はがねを生産するケラ押し法というたたら製鉄が発達しました。 |