[みどころ | 交通 | 関連情報 | 指定 | 地質学的な意義] みどころ都茂鉱山は、今からおよそ8000万年前の白亜紀後期に活動した石英閃緑岩マグマから発生した熱水が、それ以前に堆積していた石灰岩などと反応して生成されたスカルン鉱床です。熱水から生成した金属鉱物にともなって、ざくろ石、単斜輝石、珪灰石などのスカルンとよばれるカルシウム珪酸塩鉱物が生成しました。ここには丸山・都茂・宝来・旭・銀山などの鉱床群があり、この内最大の丸山鉱床は、水平方向に延長350m、傾斜方向に400m、厚さは30mに達し、立坑の合計の深さは350mを超えました。銅鉱石の産出を主体にした鉱山であり、副産物としてタングステン、金、銀なども得られました。
丸山鉱床(写真1)は平安時代の836年にはすでに採掘が始まっていことが史料からわかっています。江戸時代には、天領として大森(石見銀山)に置かれた代官所の支配下にあり、1842年からは浜田藩が支配しました。明治以降は休山と開発が繰り返されましたが、1970年前後に鉱山の最盛期(写真2)をむかえ、銅と亜鉛の鉱石を1日に600tも処理していました。その後、生産コストの増大と国際競争力の低下が原因で、1987年(昭和62年)6月に閉山しました。 都茂鉱山からの産出鉱石は磁硫鉄鉱と黄銅鉱をはじめとし、閃亜鉛鉱、輝水鉛鉱、磁鉄鉱など20数種類におよびます。現在は中外鉱業株式会社の所有地となっていますが(写真3)、丸山坑の坑道内を見学することはできません。 アクセス美都町都茂の国道191号から県道美都澄川線を約2.6km入ると、鉱山管理所入り口に着きます。鉱山選鉱場の廃施設はその奥です。県道をさらに約1.4km進むと丸山坑跡に至ります。 関連する情報東京大学総合研究博物館ニュース:http://www.um.u-tokyo.ac.jp/museum/ouroboros/04_03/kouseki.html シーズ総合政策研究所 編(2005年) まちの宝さがしガイドブック 都茂鉱山の歴史発見、20頁、島根県益田市。 葛篭集落にはかって鉱山宿舎や小学校がありました。当時は大勢の住民でにぎわっていましたが、今ではその様子をうかがい知ることはできません。 天然記念物などの指定情報なし 地質学的な意義鉱床とは、地殻の中で特定の鉱物が濃密に集まっている部分をさします。有用な鉱物が濃集している部分(鉱床)を人間が利用するために採掘する場所が鉱山です。スカルン鉱床は、石灰岩を主とする堆積岩に珪長質マグマの活動に伴う熱水が滲入したときに生成される、カルシウムに富む珪酸塩鉱物をともなうことを特徴とする鉱床です。日本には数多くのスカルン鉱山がありましたが、採算に合う鉱石を掘りつくしてしまったり、外国からの安価な鉱石の流入や、また公害問題が起きたりして鉱業的に成り立たなくなり、今ではほとんど稼働していません。津和野町の笹ヶ谷鉱山もスカルン鉱床ですが、ここも1971年(昭和46年)に閉山しています。 都茂鉱山では、世界で最初にBiTe鉱物(ビスマス原子とテルル原子の比が1:1の鉱物)が発見されました。この鉱物は東京大学の島崎英彦らにより詳しく調べられ、その後、1978年に国際鉱物学連合の新鉱物・鉱物名委員会によって、産地の鉱山名にちなんで都茂鉱(tsumoite)として認められました。 |