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差海川河口の古砂丘

出雲市湖陵町差海

ハマナスが自生する砂丘で、新砂丘と古砂丘の両方の堆積物をみることができます。



キーワード:差海層 木次軽石 古砂丘 新砂丘 第四紀


(推薦:宇野泰光様)
(執筆:山内靖喜)

地図
国土地理院発行1:25000地形図「大社」「神西湖」より

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みどころ

写真1

大社の稲佐の浜から出雲市小田までの約14kmにわたって砂浜の海岸が続いており、その奧には緩やかな斜面をもった砂の高まり、砂丘があります。この一帯は出雲砂丘と一般によばれており、島根県で一番長い砂丘地帯です 。そのうちでも、神戸川河口・板津間の約6kmの海岸には、砂丘が良く発達しています。

この海岸では、標高56mの妙見山を中心に砂丘がほぼ南北に並んでおります。神西湖から流れ出た差海川がこの砂丘を切っていますが、差海川は神西湖の水を流し出すために江戸時代に開削された人工河川です。

砂丘はなだらかな地形で、崖がつくられてもすぐに崩れるので砂丘の内部を見る機会はなかなかありません。しかし、差海川河口近くで砂丘の内部がみれます。西浜大橋から河口に向かって右岸を約40m行きますと高さ約10mの崖があります(写真1)。崖の大半は崩土と藪で隠されていますが、その上端の1〜5mだけに赤褐〜黄白色の堆積物 が現れています。松林から藪と崖の境に沿って崩土を登って、堆積物をみてみましょう。。この堆積物は上から順番に白灰色砂、赤褐色の砂混じり粘土(厚さ20cm)、褐色の粘土混じり砂(厚さ50cm)、黄白色の砂(厚さ2m以上)が重なっております。一番上の白灰色砂はフワフワしています。この砂は出雲砂丘の表面の大半を覆っており、1万年前から現在までの間(完新世)に堆積したのです。このように完新世に堆積した砂がつくる砂丘を新砂丘とよんでいます。

写真2

その下の砂混じり粘土の中心部の厚さ数cmはほとんど粘土だけです。この粘土を水を入れたポリ袋中に入れて、袋の上から粘土をもんで細かく砕き、泥を水に溶かし、泥水だけを捨てる作業を10回以上行うと、粘土中に含まれていた砂粒大の粒子が残ります。それをルーペでみると、長さ1mmほどの黒色の長柱状粒子(角閃石)、無色透明な粒子で表面に貝殻状割れ口をもつ粒子(火山ガラス)、軽石などが含まれています。この粘土は約10万年前に三瓶火山から噴出した火山灰(木次軽石)がその頃の海岸に降ってきて、海岸の砂と一緒に堆積したのです。木次軽石とその下位の砂は10万年前頃に堆積したもので、差海層とよばれています。とくに、下位の黄白色の砂にはチリメンのような細かな葉理や水平な葉理をもち、砂の粒子が良くそろっているなど、砂丘砂の特徴をもっています。1万年前よりも古い時代に作られた砂丘を古砂丘とよんでおります。新砂丘砂を比べると、古砂丘砂はよく締まっています。長浜海岸の砂丘の地下には古砂丘=差海層が広く分布しており、土地の造成などで砂丘を切り取った崖には差海層が現れることがあります。写真1の松林の中にも差海層の大きな露頭があります。なお、新砂丘の断面は地点(2)でみることができます。

写真3


アクセス

大田・江津方面からは、国道9号「道の駅キララ多伎」の交差点を左折し、くにびき海岸道路を約6km行くと西浜大橋です。松江方面からは、国道9号の差海郵便局の交差点を右折し、約600m進むと右手に神社があります。そこを左折して約500m進みくにびき海岸道路に入り、右折して約700m進むと西浜大橋です。西浜大橋の北側(右岸)から川岸に下りる道があります。


関連する情報

参考文献:鹿野和彦・竹内圭史・大嶋和雄・豊 遙秋、1989、大社地域の地質。地域地質研究報告(5万分の1地質図幅)、地質調査所、51p.


天然記念物などの指定情報

なし


地質学的な意義

新砂丘砂と波打ち際の砂を比べると、両方とも粒の大きさが良く揃っておりますが、砂丘砂の方が細かいです。それは砂丘砂は主に風で運ばれるが、波打ち際の砂は海水の波によって動かされるからです。このように、堆積した環境によって砂粒の大きさのそろい具合(分級)、上下方向での粒径の変化、あるいは内部にみられる葉理の形態などが異なります。このことを利用して、過去の堆積物である地層中の粒度、分級の程度、堆積構造などの変化を調べてその地層がどのような環境に堆積したかしることができます。

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