[みどころ | 交通 | 関連情報 | 指定 | 地質学的な意義] みどころ写真1:枕瀬山から望む津和野川。正面は青野山(標高907.6m)。 津和野町日原で高津川に合流する津和野川は、青野山北麓の同町直地までの7km以上にわたって、北北東−南南西方向をなす直線状の河谷をつくっています(写真1)。河谷の右岸側となる東側山裾には三角末端面(写真2)がいくつも並び、直線的な山麓線を見せています。高津川との合流点近くの枕瀬山の東側には鞍部(写真3)があります。三角末端面とは尾根の末端が切り取られたように三角形をなす斜面のことです。鞍部とは尾根上の二つの高まりに挟まれた低所をさし、馬の鞍に似ることに由来しています。直線的な河谷や三角末端面、鞍部などの地形は、断層運動によって生じたり、それが浸食された跡であったりすることが多く、断層地形に分類されます。 写真2:三角末端面 1891年(明治24年)に岐阜県と愛知県とを中心に濃尾地震が起きました。この地震で根尾谷断層が生じ、高さ6mの断層崖が出現しました。この断層を最初に研究・報告した研究者は、津和野で生まれた小藤文次郎(1856〜1935)です。彼は明治から大正時代にかけての日本の地質学の指導的研究者であり、日本地質学の父といわれます。玄武岩の命名、世界で初めて紅簾石片岩を報告したことなどでも有名です。津和野町後田に生誕記念碑が建っています(写真4)。
アクセス●島根県鹿足郡津和野町日原〜直地 関連する情報独立行政法人産業技術総合研究所 地質調査総合センター 天然記念物などの指定情報なし 地質学的な意義大地には常に力が加わっていますが、その力に耐えきれなくなると大地が破断して(剪断といいます)食い違いが生じます。それが断層で、食い違った面を断層面といいます。第四紀(約180万年前以降)に繰り返し活動した断層は、将来も活動する可能性が大きいので、活断層とよばれています。活動時期が新しいと、食い違った地形が浸食されないで残っていることがあります。これを断層変位地形といい、変位地形の存在から活断層を推定することがあります。 |